少林寺流とは


宗家 仲里常延範士

1922年(生誕)                     

1938年 喜屋武朝徳先生に師事し、本格的に空手道を修行する。

1952年 「求道館」を創設。    

1955年5月 「少林寺流」と流派の命名を行う。            

平成12年9月 沖縄県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者認定書授与。

  

少林寺流の命名

喜屋武朝徳先生は、松村宗棍(首里の達人で武士松村として知られる)や、外数名の達人より、八つの型を授けられたが、師の教えた通りの型をそのまま保存継承するという無修正主義を尊重しておられた。

すなわち一器の水を一器にうつすという禅の教えに徹したのである。

すなわち、自ら身に修めた八つの型には、いささかも潤色を加えず忠実にこれを守り、弟子たちに伝承されたのである。私(仲里常延氏)もこのように、絶対に創意工夫を加えようとしなかった恩師喜屋武朝徳先生の志を汲み取って型の無修正主義を尊ぶ気持ちがおこり、全ては源流にたちかえれという理念の下に「少林寺流」と流派の命名を行う。(1955年5月)

 「少林寺流」というのは、また、中国拳法の始源といわれ、さらに沖縄の「手」の発達に大きな影響を与えたと考えられる中国の少林寺拳法に因んだ結果の命名でもある。

また現実的には、喜屋武朝徳先生の伝承された八つの型と、他の首里手(ショウリン流系)と区別するための命名の結果が「少林寺流」の主な理由である。

 

少林寺流の教え

(1) 型を形成している形の鍛錬。次に形を集大成した型の反復練習。

総体を示す場合は、「型」。個々の技を示す場合は、「形」。いわゆる形(技)を集大成したのが、「型」である。

(2) 楷書の稽古であること。

先輩の形を手本とするも、それはあくまで楷書の形で、行書や草書の形は手本にならない。

(3) 一撃必勝であること。

この技が失敗しても次の技がある。という考え方の「稽古」では真の技は体得できない。型を形成している個々の 形(技)は、総て相手を倒すという気迫を込めて「稽古」しなければならない。

○残心を示す。○受けも攻撃である。○迫力、瞬発力のある形(技)とは、ゼロから発し、瞬時に最高点まで引き上げられたものである。

(4) 空手に先手なし。

専守防衛の護身術から発達した武道で、総ての型は受けの形(技)か始まり、そしてその形(技)は最短距離(道は近きにあり)を通って対応する。攻防の形(技)は、相手の出方を見てから発する。即ち、空手に先手なしの所以である。

(5) 型の「稽古」は鍛錬法である

徹底した楷書の型の反復練習によって基本を体得すれば、非常の際は、相手の技に対応すべく適切な技が自然に発し、相手のわざを牽制するのである。

(6)生涯修行である

型を構成している形(技)は、実践においては、臨機応変色々な形(技)に展開するのである。

その展開した形(技)を原型に持ち込んで、安易に型を構成している形(技)をかえてはならない。

その様な考えが浮かんでいるようでは、未熟な証拠である。型は、既に完成されているものであり、それを正しく身につけることが大事なのである。迷わず、型の反復練習に励みなさい。

 

「一器の水を一器にそそぐが如し」の禅の教えは 喜屋武朝徳先生の指導理念であり、又、少林寺流の指導理念である。(※求道館 参照抜粋)